本日は秋分の日で祝日でしたが、よくよく考えると二十四節気の中で、なぜ春と秋の春分、秋分だけが祝日になったのか。逆に言うと、夏の夏至や冬の冬至は祝日ではないのか。6月に祝日がないのはつらいので、ぜひ夏至も祝日にしていただきたい!という気持ちで、理由を調べてみました。
サムネは8月の終わりに芝の増上寺で開催された「七尾港まつりin Tokyo」で買った、能登の「なまこうどん」&「ふぐ花削り」ですが、なぜこの記事のサムネが能登のなまこうどんなのかは最後に記載しています。
本記事のポイント
- なぜ春分と秋分は祝日になっているのに、夏至や冬至は祝日にならないのか
はじめに
日本の暦には、古くから二十四節気という季節の移り変わりを表す区分が存在します。その中でも、春分と秋分は特別な扱いを受け、現在では国民の祝日として制定されています。しかし、なぜ他の節気ではなく、春分と秋分だけが祝日として選ばれたのでしょうか。本記事では、この疑問に答えるべく、二十四節気の概要や春分・秋分の特徴、そして祝日制定の背景について詳しく見ていきます。
二十四節気とは
二十四節気は、太陽の動きに基づいて1年を24等分した季節の区分です。古代中国で生まれ、日本にも伝わったこのシステムは、農業や生活のリズムを整える上で重要な役割を果たしてきました。
主な節気には以下のようなものがあります:
- 立春・立夏・立秋・立冬(各季節の始まり)
- 春分・夏至・秋分・冬至(太陽の南中高度が最も高い/低い日)
- その他(雨水、清明、小満、大暑、白露、霜降など)
これらの節気の中で、特に重要視されてきたのが春分と秋分です。
春分と秋分の特徴
春分と秋分は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる「昼夜平分」の日です。春分を過ぎれば昼が、秋分を過ぎれば夜が長くなっていくため、春分は冬から春への、秋分は夏から秋への移行期を象徴します。農耕社会においては、春分は田植えの準備期間の始まりを、秋分は収穫の時期を示す重要な指標でした。
春分・秋分が祝日となった背景
春分と秋分は、1948年に制定された「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によって、春分の日、秋分の日として正式に祝日と定められました。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日と規定されています。これらは日本の伝統的な自然観や先祖崇拝の精神を反映しています。
春分・秋分の時期には、古くから様々な伝統行事が行われてきました。例えば、春分には彼岸会(ひがんえ)が、秋分には秋祭りなどが行われます。先日参加した「おわら風の盆」も台風の時期に収穫前の稲が風害に合わないように祈願する意味合いがあるそうです。
祝日の定義と目的
ここまでの内容を踏まえると、そもそも祝日とはどういうものなのかを理解することで、なぜ春分と秋分が選ばれ、夏至や冬至が選ばれなかったかが見えてきそうです。祝日とは、1948年に制定された「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によって定められた国民の休日を指しますが、祝日法の第1条には、祝日の趣旨が以下のように明記されています。
「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」
この条文から、祝日には「美しい風習を育て、よりよい社会、豊かな生活を築く」という目的があることが分かります。春分や秋分は、自然の変化を象徴する日というよりは、日本の伝統文化と深く結びつき、農業を基盤とした国民生活と密接に関連しており、それに伴う伝統行事が盛んな時期であることが、「美しい風習を育てる」「よりよい社会、豊かな生活を築く」という祝日の趣旨に合致していたと考えられます。
なぜ夏至や冬至は祝日ではないのか
上のような春分や秋分が祝日に選ばれた理由を見ると、夏至や冬至が選ばれなかった理由も裏返しに見えてきます。春分や秋分が日本の伝統的な自然観や先祖崇拝の精神と深くかかわり、さまざまな伝統行事が行われる時期であるのに対し、夏至には象徴的な行事はありません。冬至についても、かぼちゃを食べる、柚子湯につかるといった風習はあるものの、やはり大規模な行事はありません。
二十四節気的な意味合いで言えば、春分、夏至、秋分、冬至は、それぞれ各季節を象徴する意味合いを持ちます。しかし、春分は「祖先を敬う時期」、秋分は「収穫の時期」という日本人の営みにおける特別な意義を持つ時期である一方で、夏至や冬至は季節を象徴する時期以上の意味合いを持たなかったために、祝日には制定されていないと考えられます。
まとめ
簡潔に言えば、「夏が来た!」「冬が来た!」だけでは祝日にする理由にはならないということですね。ニュースでは心が痛む能登の大雨の報道が流れていますが、今日が秋分の日であることは、日本人がこの時期の気候に苦しめられてきた歴史を逆説的に感じさせられます。
夏至も祝日にならないかなあというぼんやりした思いで書き始めた記事ですが、収穫の時期に能登に訪れてしまった災禍を受けて、またボランティアに足を運ぼう、自分にできることをやろうと決意した、という内容でまとめとします。情報収集して、申し込もう。
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