話題を集めた滋賀学園高校の応援
夏の甲子園がいよいよ決勝を迎えますが、今大会でも様々な高校が話題になりました。その中でも大きく取り上げられたのが滋賀学園高校のユニークな応援。「A列車で行こう」の汽車が走るようなダンスや「メガロバニア」の手でウサギの耳を作るダンスなどが、TikTokやYouTubeなどで広く拡散されました。
真顔でユニークな振り付けを全力で踊るその姿に、多くの人が「ずっと見ていたい」「心に響く」といった好感を持った一方で、一部では「ふざけていないで試合をちゃんと見た方がいい」「やりたくもない子を巻き込まない方がいい」といった批判の声も上がりました。
彼らがどんな思いで踊っていたかは、応援団長の荒井浩志君のインタビューが様々な媒体に掲載されているので、そちらで目にすることができます。メンバー外になったときに母親と会話を交わし、ここで腐ってはいけないと思ったというエピソードは、その悔しさを微塵も感じさせず、むしろ一部の人には「ふざけている」とさえ思わせてしまうくらいダンスに没頭する姿に、より強い思い入れを抱かせてくれます。
補欠の野球部員が主人公の映画「ひゃくはち」
荒井君たちの姿を見ていて思い出したのが、補欠の野球部員を扱った映画「ひゃくはち」です(ちなみに同名小説の映画化です。そして、以下多少のネタバレを含みます)。
「ひゃくはち」では横浜高校をモチーフにしたと思しき名門校「京浜高校」を舞台に、ベンチに入れるかどうかという微妙な立場の2人の野球部員が主人公として登場します。親友である2人はあの手この手で監督にアピールを試みて、背番号をもらうために手を尽くしますが、ついに迎えた3年の春に超有力な新入部員が入部したことで、最後の一つのベンチ枠を2人で争うことになってしまいます。
「ひゃくはち」の面白いところは、高校野球という題材を扱っているにもかかわらず、試合の勝敗や試合に向けた努力などにはほとんど目が向けられず、補欠の高校野球部員がいかにして自分たちの立場を確保するかという部分に焦点が当てられていることです。主に本筋の野球とは離れたところで発揮されるその必死さは、尊敬に値するものですが、どこかせせこましくもあります。
ただ、そのせせこましさが卑しさに見えないのは、彼らの背景が描かれるからです。監督や仲間から相手にされず、せせこましく部のすみっこであがく彼らも、地元に戻ればその土地で一番野球が上手なスーパースターであり、親や友人や恋人からの大きな期待を背負っています。そんなバックボーンが見えるからこそ、どんな手を使ってでもベンチに入りたいという彼らの思いが、痛いほど感じられるのです。
望む結果が得られなかった後のふるまい
どんな努力を重ねても、時に望む結果が得られないことはあります。滋賀学園のアルプススタンドで踊っていた彼らも、多くの人の期待を背負っていて、どんな手を使ってでもベンチ入りしたかったに違いありません。そして、それができないと分かったときにどんな気持ちになったのでしょうか。
2年半死ぬ気で頑張ったのに望む結果を得られなかったという挫折を、果たしてどれだけの人が経験したことがあるのでしょうか。普通に生きてきた多くの人は恐らく、誰かの期待を一心に背負って2年半死ぬ気で頑張ったことが、そもそもないのではないかと思います。
期待に応えられなかった絶望感やこれまでの日々に意味がなかったという虚無感の中で、それでも彼らは前を向いて全力でダンスを踊ること、仲間を応援することに決めました。そうすることが2年半の日々を無にしない方法だと判断したのだと思います。
報われない中で全力を尽くした彼らへのエール
仲間たちがスタンドから大きな声援を受ける中で、声援を送る側になってしまった自分に、悔しさを感じる瞬間もきっとあったと思います。声援を受ける仲間の姿をうらやましいと思い、そうなれなかった自分を惨めに思う瞬間だってあったのではないでしょうか。それでもそんな姿を微塵も見せずに自分たちの役割を、意志を貫いた彼らには脱帽させられます。
そして、同じように感動した多くの大人はこう思っているのではないでしょうか。その人生経験が彼らを強くする、高校3年生の甲子園では報われない側だったかもしれないけれど、この先の人生ではきっと大きな花を咲かすことができる。腐らずに全力を尽くして、周囲の人間を巻き込むことができる彼らのような人材は、どんな世界でも引く手あまたでしょう。
明日はいよいよ甲子園決勝。仕事で見られませんが熱戦に期待しています。そして、久しぶりに映画「ひゃくはち」も見てみたくなりました。
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